ドナルド・キーンについて

プロフィール

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ドナルド・キーン(雅号 鬼怒鳴門)

1922年ニューヨーク生まれ。日本文学研究者、文芸評論家。コロンビア大学名誉教授。
1940年(18歳)、アーサー・ウエーリ訳『源氏物語』に感動。以来、日本文学や日本文化の研究を志し、第二次世界大戦後、コロンビア大学大学院、ケンブリッジ大学を経て1953年に京都大学大学院に留学。アメリカ帰国後、コロンビア大学で日本文学を教えながら日本に足繁く通い、川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫など名だたる作家と交流を深めながら古典から現代文学にいたるまで広く研究し、海外に紹介。日本文学の国際的評価を高めるのに貢献。
1962年に菊池寛賞、1983年に山片蟠桃賞、国際交流基金賞を受賞。また日本人の日記を研究した『百代の過客』で読売文学賞、日本文学大賞(1985年)を受賞。
1986年、コロンビア大学にドナルド・キーン日本文化センターを設立。2002年には文化功労者、2008年には文化勲章を受章。
2011年3月の東日本大震災後、被災地の懸命に生きる人々の姿に「いまこそ私は日本人になりたい」と日本永住・日本国籍取得の決意を表明。2012年3月、帰化申請が受理され日本人となる。日本国籍取得後の正式名はキーン ドナルド。雅号「鬼怒鳴門」を使うこともある。現在、30数年住み慣れた東京北区アンバサダーをつとめる。名誉都民。
主な著書として『日本文学の歴史』18巻、『明治天皇』など。また、古典の『徒然草』や芭蕉の『奥の細道』、近松門左衛門、現代作家の三島由紀夫、安部公房などの著作の英訳書も多数。

青少年時代 初めての日本文学『源氏物語』との出会い 執筆活動
1922年6月18日 ニューヨーク市ブルックリンで貿易商の家庭に生まれる。  
1931年(9歳) 父とともにヨーロッパを旅行。その後、両親の離婚により母と暮らす。
1938年(16歳) 奨学金を受けつつ成績優秀により「飛び級」を繰り返し、16歳でニューヨークのコロンビア大学文学部に入学。フランス語習得。中国人学生と親しくなり、漢字に惹かれる。
1940年(18歳) アーサー・ウェーリ訳 『源氏物語』 を49セントで購入。激しくなる戦争の足音に慄きながら読み耽る。角田柳作先生の下で日本思想史を学ぶ。
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海軍情報士官として従軍した太平洋戦争 執筆活動
1941年(19歳) 12月8日、日本軍、アメリカ・ハワイ真珠湾を攻撃。太平洋戦争開戦。
1942年(20歳) 2月、日米開戦に伴い米海軍日本語学校に入学。
1943年(21歳) 1月、11か月間の日本語習得訓練の後、海軍情報士官として従軍。ハワイで米軍が入手した日本軍に関する書類の翻訳、日本兵の日記読解、日本兵捕虜の尋問や通訳などに従事。その間、太平洋戦線のアッツ島・キスカ島作戦に参戦。
1944年(22歳) ハワイの捕虜収容所で音楽会を開く。日本の流行歌やベートーベンの「英雄」を日本兵捕虜らと聴く。通訳時代の友人にオーティス・ケーリ(のち同志社大学名誉教授)がいる。
1945年(23歳) 3月、フィリピン・レイテ島を経て沖縄戦に従軍。日本軍捕虜の通訳官を務める。
8月、沖縄戦終了後、ハワイに戻り、ホノルルの自宅で広島への原爆投下を知る。
8月15日、日本、ポツダム宣言受諾、敗戦。中国・青島への赴任の途中、グアムで昭和天皇の玉音放送を聴く。
9月、中国・青島で日本兵の戦犯調査の任務に就く。
11月、戦犯調査にいたたまれず、除隊を申請。
12月、ハワイの原隊復帰への帰路、焼け野原の東京に立ち寄る。親しくなった日本人捕虜たちから託された手紙を懐に、消息を家族に伝えて廻る。離日前に日光を見物。
クリスマス直前にニューヨークに帰還。
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コロンビア大学院時代 角田柳作先生に学んだ日本文学 執筆活動
1946年(24歳) 戦争が与えてくれた贈り物、日本語という知識を棄てたくないとコロンビア大学へ戻る。大学院で角田柳作先生に日本文学を学ぶ。
捕虜収容所で親しくなった元日本人兵士と頻繁に便りを交わす。その中で、将来の計画は定まらないが学業は棄てたくない思いを伝える。
1947年(25歳) 角田柳作のもとで修士号を取得。
秋、ハーヴァード大学へ移る。当時アメリカで一番有名な日本学者、セルジュ・エリセフ教授やエドウィン・ライシャワー教授(のち、駐日大使)の日本文学に関する講義を受ける。
近松の戯曲『国姓爺合戦』の英訳を始める。
1948年(26歳) 秋、ケンブリッジ大学で研究を開始するため、イギリスに渡る。
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ケンブリッジ大学時代 日本文学研究に訪れた危機 執筆活動
1948年(26歳) 秋、フランス、ベルギー、オランダを旅してイギリスへ渡る。
ケンブリッジ大学で研究を開始。同時に、日本語の講師を務める。
1949年(27歳) バートランド・ラッセル、作家のE・M・フォスター、アーサー・ウェーリらと交流を始める。 近松門左衛門の戯曲 『国姓爺合戦』 についての博士論文を仕上げる。『The Battles of Coxinga』
1951年(29歳) コロンビア大学にて博士号を取得。 『The Battles of Coxinga』 近松門左衛門 『国姓爺合戦』 を London:Taylor's Foreign Press より刊行。
1952年(30歳) ケンブリッジ大学で「日本の文学」についての5回の連続講義を開く。しかし、250人入る大きな教室に参加者は僅か10人。挫折感の中で日本語と日本文学研究を棄てようと決め、ロシア語を学ぶ。が、どうしてもロシア語が覚えられず、自分には日本文学研究しかないのだという、その一筋に繋がる思いで日本文学研究を続ける。 "The Japanese Discovery of Europe" London:Routledge and Kegan Paul より刊行。邦訳 『日本人の西洋発見』 錦正社、1957.
1953年   5月、佐佐木信綱著『上代文学史』評、「文学」に掲載。('The Far Eastern Quarterly'1952.8掲載論文)
『Japanese Literature an Introduction for Western Readers』London:JohnMurray より刊行。邦訳 『日本の文学』 吉田健一訳、筑摩書房、1963。
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憧れの日本留学 親友となる永井道雄との出会い 執筆活動
1953年(31歳) 8月、フォード財団の奨学金を得て日本留学(京都大学大学院)の夢が実現。アジア各地を旅して京都着。京都駅には中国、青島で知り合った元日本兵の友人が出迎える。
戦友の同志社大学教授、オーティス・ケーリの紹介で京都市東山区今熊野の奥村邸「無賓主庵」を下宿先に決める。この下宿で永井道雄と知り合い、生涯の友となる。永井の紹介で中央公論社社長の嶋中鵬二を知る。以来、嶋中を通して日本の著名な作家たちと出会う。
9月、伊勢神宮式年遷宮に参列。
10月から京都大学で野間光辰教授の講義を受講。留学中の主なる仕事を「日本文学選集」の刊行と決める。
智積院で書を習う。ここで西崎照明氏と出会い、親友の一人となる。西崎氏は東大寺のお水取りや京都の社寺の行事らに誘う。共に連れ立ち、友情を深める。
大蔵流宗家の茂山千之丞に狂言を習う。
1954年(32歳) 夏、川端康成に日本文学選集出版の助力を乞う。
秋、下鴨の谷崎潤一郎を訪ねる。11月、東京・歌舞伎座で三島由紀夫と会う。以後、吉田健一、河上徹太郎、石川淳、大岡昇平ら、鉢の木会の作家たちと交流。
2月、「西欧人の源氏物語の観賞」を「文学」に発表。
1955年 春、「奥の細道」を旅する。中尊寺では金色堂内陣の美に眼も心も奪われる。
5月、2年間の日本留学を終え、アメリカに帰国。
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コロンビア大学教授時代(1)新しい日本文学史を書こうと決心 執筆活動
1955年(33歳) 9月、コロンビア大学助教授。日本文学と日本語を教える。 "Anthology of Japanese Literature" 「日本文学選集・古典編」を New York:Grove Press より編集刊行。(鴨長明「方丈記」、宗祗「水無瀬三吟」、松尾芭蕉「奥の細道」「幻住庵記」、近松門左衛門「曾根崎心中」他を翻訳収録)。
'Villon's wife'(太宰治「ヴィヨンの妻」)をNew Directions,15'に翻訳掲載。
1956年(34歳) 2月、京都・金剛能楽堂で狂言「末広」の大名役を演じる。
9月13日、品川・喜多能楽堂で狂言「千鳥」の太郎冠者を演じる。酒屋役は武智鉄二。谷崎潤一郎、川端康成、吉田健一、三島由紀夫、松本幸四郎(八代目)らが観劇。
"Modern Japanese Literature:an anthology" 「現代日本文学選集」をNew York:GrovePressより編集刊行。(坪内逍遥「小説神髄」、永井荷風「すみだ川」、石川啄木「ローマ字日記」他を翻訳収録)。
"The Setting Sun" 太宰治「斜陽」を New York:New Directions より翻訳刊行。
"Japanese Music and Drama in the Meiji era" 小宮豊隆編「明治文化史」を Tokyo:obunsha よりサイデンステッカーと共訳刊行。
'The tale of Bamboo Cutter'「竹取物語」を'Monumenta Nipponica,11-4'に翻訳掲載。
1957年(35歳) 春、四国紀行。
9月、国際ペンクラブ東京大会にジョン・スタインベックらアメリカ代表団の一員として参加。10月、ニューヨークに滞在の三島由紀夫の「近代能楽集」上演に奔走。
『碧い目の太郎冠者』中央公論社。
"Five Modern No Plays" 三島由紀夫「近代能楽集――卒塔婆小町、綾の鼓、邯鄲、葵上、班女」を New York:Alfred A. Knopf より翻訳刊行。
'Basho's journey to Sarashina' 松尾芭蕉「更級紀行」を'Transactions of the Asiaticsociety of Japan,3-5'に翻訳掲載。
1958年(36歳)   "No Longer Human" 太宰治「人間失格」を New York:New Directions より翻訳刊行。
"Sources of Japanese Tradition" 室鳩巣「駿台雑話」を New York:Columbia Universitypress) に'Shundai zatsuwa'で翻訳収録。
1959年(37歳)   "Living Japan" を New York: Doubleday & Company より刊行。邦訳『生きている日本』朝日出版社、1973。
'Basho's journey of 1864' 松尾芭蕉「野ざらし紀行」を'Asia Major,7,1-2'に翻訳掲載。
1960年(38歳) コロンビア大学教授。
1961年(39歳) 日本の演劇研究のため1年半、日本に滞在。日本での住まいを京都から東京に移す。(東京・原宿に滞在。)
吉田健一とその仲間(鉢の木会)の作家たちと親しく交流。秋、金春流の指導的能役者、桜間道雄(後に人間国宝)に謡曲を習う。
12月、ニューヨークの病床の母の許へ南回りのヨーロッパ経由で帰る。東南アジア(フィリピン・マニラ、ヴェトナム・サイゴン、カンボジア・シエムレアブ、ビルマ・バガン、インド・カルカッタ、ベナレス、)中東(レバノン)、地中海のキプロスを旅して翌年の2月、ロンドン着。叔母から母の病状が悪化の連絡を受け、ニューヨークへ帰る。
"Major Plays of Chikamatsu" 「近松門左衛門傑作集」を New York:Columbia UniversityPress より翻訳刊行。「冥途の飛脚」「女殺油地獄」など11編を収録。
"The Old Woman, the Wife,and the Archer: Three Modern Japanese Short Novels "深沢七郎「楢山節考」、宇野千代「おはん」、石川淳「紫苑物語」を New York:Viking Press より翻訳刊行。
1962年(40歳) 1962年3月、ニューヨークの母死去。
古典ならびに現代日本文学の翻訳による海外への紹介の功績により菊池寛賞受賞。
1963年(41歳) 夏、アフリカを講演旅行。(ナイジェリア・イバダンの大学では日本文学を講演、さらに、狂言のパフォーマンスも披露。) "After the Banquet" 三島由紀夫の小説「宴のあと」を New York:Alfred A.Knopf より翻訳刊行。
1964年(42歳) 2月、ニューヨークで安部公房と会う。
中央公論社版『日本の文学』編集委員。
角田柳作死去。
新しい日本文学史を書こうと決心する。
「日本演劇における写実性と非現実性」'Realism and Unreality in Japanese Drama' DramaSurvey, vol.3, no3, Minneapolis, Minnesota,
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コロンビア大学教授時代(2)『日本文学の歴史』全18巻完結 執筆活動
1965年(43歳) 中央公論社版『日本の文学』編集委員。
谷崎潤一郎死去。
ザルツブルブにおけるフォルメントール賞選考会に出席、三島由紀夫「宴のあと」を推挙。
"Bunraku:The Art of the Japanese Puppet Theatre" を Kodansha International より刊行。
邦訳『文楽』吉田健一訳、講談社、1966。
1966年(44歳) the fifth seminar of the Conference on Modern Japan, in Puerto Rico, 1966.1。能のアメリカ、メキシコ公演をプロデュース。
アーサー・ウェーリ死去。
"No:The Classical Theatre of Japan" を Kodansha International より刊行。邦訳『能・文楽・歌舞伎』講談社学術文庫、2001。
「日清戦争と日本文化」('The Sino-Japanese War of 1894-95 and Japanese Culture' 初題 'TheSino-Japanese War of 1894-95 and Its Cultural Effects in Japan')
"Death in midsummer,and other stories"三島由紀夫「真夏の死」と「橋づくし」「道成寺」「女形」を New York:New Directions に翻訳収録。
1967年(45歳)   "Essays in Idleness:The Tsurezuregusa of Kenko"『徒然草』を New York:Columbia University Press より翻訳刊行。対訳版「よりぬき徒然草」講談社インターナショナル、1999。
"Madame de Sade" 三島由紀夫・戯曲「サド侯爵夫人」を New York:Grove Press より翻訳刊行。
1968年(46歳) コロンビア大学で学生ストライキ。
川端康成、ノーベル文学賞受賞。
1969年(47歳) メキシコ大学で1ヶ月間日本文学を教える。
国際出版文化賞受賞。
"Friends"安部公房・戯曲「友達」を New York:Grove Press より翻訳刊行。
「日本人の美意識」('Japanese aesthetics') Philosophy East and West, vol.19, no.3, Honolulu :University of Hawaii Press, 1969.7.
「平安時代の女性的感性」('Feminine Sensibility in the Heian Era')
"La Literature Japonesa Entre Oriente y Occidente"" México:El Colegio de México, 1969.「日本文学における個性と型」('Individuality and Pattern in Japanese Literature')
1970年(48歳) 三島由紀夫死去。 "Twenty Plays of the No Theatre"「謡曲20選」を New York:Columbia UniversityPress より編集刊行、「道成寺」を翻訳収録。
1971年(49歳) 1月、オーストラリア・キャンベラ国立大学における第28回オリエンタリスト会議で「三島由紀夫」を講演。東京・西片に住む(6-1月)。 New York Times Book Review' に 'Mishima' 三島由紀夫における「菊と刀」を発表。"Chushingura" 竹田出雲、他「仮名手本忠臣蔵」を New York:Columbia University Press より翻訳刊行。
"Landscapes and Portraits:Appreciations of Japanese Culture" を Kodansha International より刊行。邦訳の一部『日本の作家』中央公論社、1972、『日本人の美意識』中央公論社、1990。
10月から東京新聞に「日本との出会い」連載(12月28日まで)。
1972年(50歳) 川端康成死去。 『日本との出会い』中央公論社。英語版 "Meeting with Japan" 学生社、1979。
司馬遼太郎との対談『日本人と日本文化』中公新書。
1973年(51歳) 10月より日本航空外国人職員向け広報「OHZORA」に紀行文を連載、京都、金沢、伊勢、萩、弘前、桜井、宇治、長崎、福岡、奈良、函館、下田の紀行文を連載。
8月31日、「連歌における滑稽の伝統」日米合同会議「室町時代――その社会と文化」研究報告、京都・相国寺。
安部公房との対談『反劇的人間』中公新書。
大岡昇平との対談『東と西のはざまで』朝日出版社。
徳岡孝夫との共著『悼友紀行 三島由紀夫の作品風土』中央公論社。
1974年(52歳) 東京、北区に住む。(6-1月) 1月8日~1975年9月26日「ドナルド・キーンの日本文学散歩」 週刊朝日、(全21回)。
1975年(53歳) 勲三等旭日中綬章受章。 『日本文学散歩』朝日選書。英語版 "Some Japanese Portraits" KodanshaInternational,1978。
"The Man who turned into a Stick" 安部公房・戯曲「棒になった男」を University of TokyoPress より翻訳刊行。
"War-Wasted Asia:letters,1945-46" Kodansha International より刊行。邦訳『昨日の戦地から』中央公論新社、2006。
1976年(54歳)   『日本文学史』日本語版 中央公論社。英語版(New York:Holt, Rinehart, and Winston)刊行開始。後、『日本文学の歴史』と改題。近世編=1977年完結、近代・現代編=1992年完結、古代・中世編=1997年完結。
1977年(55歳) 1977年(55歳)7月~12月、新潮文化講演会「日本を理解するまで」講演。
吉田健一死去。
『ドナルド・キーンの音盤風刺花伝』(のち『わたしの好きなレコード』と改題)音楽之友社。
『日本文学を読む』新潮選書。
1978年(56歳) ケンブリッジ大学から文学博士号授与。
6月より東北大学文学部特別招聘教授として着任(11月まで)。
1979年(57歳)   『日本を理解するまで』新潮社。
『日本文学のなかへ 』文藝春秋。
対談集『日本の魅力』中央公論社。
1980年(58歳) 12月、北京訪問。 紀行文集『日本細見』中央公論社。英語版 "Travels in Japan" Gakuseisha、1981。
『音楽の出会いとよろこび』音楽之友社。
1981年(59歳) ヨーロッパ講演旅行(イギリス、フィンランド、ソ連、ポーランド、デンマーク)。 『私の日本文学逍遥』新潮社。
『ついさきの歌声は』中央公論社。
1982年(60歳) 朝日新聞社客員編集委員。(1992年まで)
1983年(61歳) 山片蟠桃賞、国際交流基金賞受賞。 7月4日~1984年4月13日、「百代の過客 日記にみる日本人」朝日新聞・夕刊、(全185回)。
『日本人の質問 』 朝日選書。
1984年(62歳) 『百代の過客』により読売文学賞、日本文学大賞受賞。 『百代の過客 日記にみる日本人』朝日選書。英語版 "Travelers of a Hundred Ages" NewYork:Henry Holt and Company,1989。
1986年(64歳) コロンビア大学に「ドナルド・キーン日本文化センター」設立。
アメリカン・アカデミー会員(文学部門)に選ばれる。
春、米ニューヨーク市立図書館、「日本の美学」('Japanese Aesthetics')米カリフォルニア大学ロサンゼルス校、「日本の詩」('Japanese Poetry')、「日本の詩の有用性」('TheUses of Japanese Poetry')。「日本の小説」('Japanese Fiction')
8月7日、日本近代文学館主催「夏の文学教室」で「ローマ字でしか書けなかった啄木の真実」講演。
10月8日、国際シンポジウムあまがさき(兵庫県尼崎市総合文化センター)「世界のなかの近松―悲劇の条件について」
10月26日、愛媛県松山市立子規記念博物館開館五周年記念講演、「外国人と俳句」
10月13日~1987年10月29日「続百代の過客 日記にみる日本人」朝日新聞・夕刊、(全234回)
『少し耳の痛くなる話』新潮社。
1987年(65歳) 東京都文化賞受賞。
国際日本文化研究センター発足、客員教授となる。
米ニューヨーク市・メトロポリタン美術館「日本の演劇」('Japanese Theater')
11月4日、東北大学日本文化研究施設公開講演会(仙台市・読売ホール)「日本古典文学の特質」
『二つの母国に生きて』朝日選書。
1988年(66歳) 8月1日、国際演劇協会歌舞伎ワークショップ、「歌舞伎における改作の功罪」
10月8日、福井県武生市文化センター、第1回源氏物語アカデミーで「『源氏物語』と私」を講演。
11月5日、埼玉県草加市における奥の細道国際シンポジウムで「『奥の細道』の世界」を講演。
11月24日、京都・国際日本文化センター特別公開講演会で「平安後期の物語の新しさ」を講演。
『続百代の過客 日記にみる日本人 近代篇』朝日選書。英語版 "Modern Japanese Diaries" New York:Henry Holt and Company,1995。
"The Pleasure of Japanese Literture" を New York:Columbia University Press より刊行。邦訳『古典の愉しみ』JICC出版局、1992。
1989年(67歳) 10月8日、群馬県高崎市における高崎薪能で「能の楽しみ」を講演。 "Travelers of a Hundred Age;The Japanese as Revealed Through 1,000 Years of Diaries" NewYork: Henry Holt and Company, 1989。
1990年(68歳) 全米文芸評論家賞受賞。
日本学士院客員となる。
エドウィン・ライシャワー死去。
『古典を楽しむ 私の日本文学』朝日選書。
森鴎外の「花子」の翻訳を The Journal of literary translation, 24, Fallに発表。
『このひとすじにつながりて』を「朝日イヴニング・ニュース」日曜版に連載。1月7日〜92年2月9日。
『日本人の美意識』中央公論。
1991年(69歳) 福岡アジア文化賞受賞。
9月、中国・杭州大学で「日本文学」講義(『日本文学は世界のかけ橋』たちばな出版、2003)。
1992年(70歳) 4-6月、NHK人間大学(教育テレビ)で「日本の面影」と題し13回にわたり放送。
コロンビア大学退任。以後、同大学名誉教授。
7月20日『世界のなかの日本文化』[講演]富山県民生涯学習カレッジ夏季講座。
『声の残り 私の文壇交遊録』朝日新聞社。
司馬遼太郎との対談『世界のなかの日本 十六世紀まで遡って見る』中公新書。
1993年(71歳) 1993年(71歳)、勲二等旭日重光章受章。
NHK放送文化賞受賞。安部公房死去。
『このひとすじにつながりて』朝日選書。(再構成した英語版 "On Familiar Terms:A JourneyAcross Cultures" Kodansha International.1994)。
『日本語の美』中央公論社。
"Three Plays by Kobo Abe" 安部公房・戯曲「未必の故意」「緑色のストッキング」「幽霊はここにいる」を New York:Columbia University Press より翻訳刊行。
1994年(72歳) 井上靖文化賞受賞。
1996年(74歳) 9月21日、大阪青山短期大学において「近世の演劇」について講演。
司馬遼太郎死去。
"The Narrow Road to Oku" 対訳版、松尾芭蕉「おくのほそ道」 を Kodansha International より翻訳刊行。
1997年(75歳) 『日本文学の歴史』全18巻完結。朝日賞(人文科学)受賞。
東北大学より名誉博士号授与。
嶋中鵬二死去。
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コロンビア大学教授時代(3)文化勲章受章 執筆活動
1998年(76歳) 11月6日、早稲田大学総合学術センター国際会議場で「近松と私」を講演。早稲田大学より名誉博士号授与。
大阪青山短期大学に「ドナルド・キーン日米学生日本文学奨励賞」創設。
"The Tale of Bamboo Cutter" 対訳版「竹取物語」、現代語訳:川端康成、切り絵:宮田雅之 を Kodansha International より刊行。
"One Hundred Sacks of Rice" 山本有三・戯曲「米百表」を Nagaoka City kome HyappyoFoundation より翻訳刊行。
1999年(77歳) 日本文学研究学生のための奨学金機構「ドナルド・キーン財団」設立。
2000年(78歳) 永井道雄死去。 "Love Songs from Man'yoshu"「万葉集歌選」を Kodansya International より編集刊行。
2001年(79歳) 『明治天皇』により毎日出版文化賞受賞。 『明治天皇』新潮社刊。英語版 "Emperor of Japan:Meiji and His World,1852-1912" NewYork:Columbia University Press.2002。
2002年(80歳) 文化功労者に選ばれる。 『果てしなく美しい日本』 講談社学術文庫。
2003年(81歳)   『足利義政 日本美の発見』(改題 『足利義政と銀閣寺』)中央公論新社。英語版 "Yoshimasa and the Silver Pavilion:The Creation of the Soul of Japan" New York:ColumbiaUniversity Press,2003。
『明治天皇を語る』新潮新書。
"Five Modern Japanese Novelists" を New York:Columbia University Press より刊行。邦訳『思い出の作家たち―谷崎・川端・三島・安部・司馬』新潮社、2005。
"The Breaking Jewel" 小田実「玉砕」を New York:Columbia University Press より翻訳刊行。
2004年(82歳)   瀬戸内寂聴、鶴見俊輔との鼎談集『同時代を生きて 忘れえぬ人びと』岩波書店。
2005年(83歳)   『私の大事な場所』中央公論新社。
2006年(84歳) 東京都名誉都民、北区名誉区民となる。
「源氏物語千年紀」のよびかけ人となる。
オーティス・ケーリ死去。
『昨日の戦地から 米軍日本語将校が見た終戦直後のアジア』を編集刊行。
2007年(85歳)   『渡辺崋山』新潮社。英語版 "Frog In The Well:Portraits of Japan by WatanabeKazan,1793-1841" New York:Columbia University Press,2006。
『私と20世紀のクロニクル』中央公論新社。英語版 "Chronicles of My Life:An American inthe Heart of Japan" New York:Columbia University Press,2008。
2008年(86歳) 文化勲章受章。
2009年(87歳) 6月、復活上演を提案した古浄瑠璃「越後国・柏崎 弘知法印御伝記」が「越後猿八座」により、柏崎産業文化会館ホールで初上演。 『日本人の戦争 作家の日記を読む』文藝春秋。英語版 "So lovely a country will neverperish:wartime diaries of Japanese writers" New York:Columbia University Press,2010。
2010年(88歳) 10月末、古浄瑠璃「越後国・柏崎 弘知法印御伝記」の東京公演実行委員長を務め、東京朝日ホールで上演
安吾賞受賞。
 
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日本人となる 執筆活動
2011年(89歳) 3月11日、東日本大震災発生。
4月、日本国籍取得を表明。
4月26日、コロンビア大学にて最終講義(能について)。
8月末、日本永住のため、ニューヨークの自宅を引き払う。
9月11日、平泉、中尊寺を訪ねる。
9月13日、平泉、毛越寺にて作家、平野啓一郎氏と対談。(BSーTBSドキュメンタリー番組用収録)
9月24日、松山で講演。「正岡子規論」
10月12日、瀬戸内寂聴さんと平泉、中尊寺で対談。「日本人の強さ、日本の美」
11月1日、C・W・ニコル氏、養老猛氏との鼎談(黒姫)
11月26日、東洋大学にて記念講演。「源氏物語」
12月10日、上野文化センターにて講演。「私の好きなオペラ」日本ベルデイー協会。
『ドナルド・キーン自伝』中央公論。
『戦場のエロイカ・シンフォニー』著者 ドナルド・キーン、小池政行 藤原書店刊。
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